決断
- 64期D組
- 2019年9月5日
- 読了時間: 3分
みなさんこんにちは、演出補佐、情報責任者のK.Tです。僕は辛夷祭への気持ちと関わり方について書こうと思います。
まずはじめに、僕はキャストはやらないと決めていた時期がありました。クラスに仲のいい友達がいなかったり、受験への不安などが原因です。
しかし、そんな人でもやりたいと思わせるほどのブランド力ととてつもない伝統、そして辛夷祭の魅力があると思います。
実は僕、母も姉も附高生なんです。二人ともキャストで、姉の演劇を観に来た時、中学生ながら、「高校生なのにこんな高いレベルの劇ができるのか」と驚きました。
また母は、約30年前になりますがキャストをやっていたと言っていて、未来に活きてくるものがある、と言っていました。
そんな伝統のある辛夷祭の演劇、やらなかったら将来後悔するかもしれない、それだけの価値があると思いやることに決めました。
実際、僕は演劇をやることを選びましたが、演劇をやらない選択をしたとしても、後悔はすると思いますが受け入れてドラムだけに専念していると思います。
僕が皆さんに伝えたいのは、決断することの大切さです。どちらにするかということより、決断することそれ自体が大切なんです。
僕は決断することが苦手で、優柔不断です。悩んでしまうことも多く、2年生の時は生きる意味について1年間悩み続け続けたこともありました。
決断するからこそ次がある。所詮、私たちは広い宇宙の中の小さいクズにも満たないちっぽけな存在。
それでも私たちは幸せのために、夢を追ったり、家族を支えたり、大事な人に思いを伝えたり、、、それぞれの大切なものを思いながら、明日への希望を胸に生きている。
決断してきたからこそ現在があり、未来が広がるんです。人生の分岐点で、難しい選択だとしても、自分の決断を信じその道を進んでみて下さい。間違っていると思ったら引き返して進路を変えればいい。人生にはそんなチャンスがあるのだから。
そして、優柔不断な人たちへ。
僕は生きる意味なんてないんじゃないか、と思っていた時もありました。しかし、倫理の時間に紹介されたフランクルの「夜と霧」という作品の一節で、
「我々が人生から何をまだ期待すべきかなどということは決して問題ではないのだ。そうではなくて、むしろ単に、人生が我々から何を期待するかどうかということだけが問題なのだ。」
というものがあります。要は、人生の意味は「後付け」だということです。僕がドラムを叩くことで誰かの人生観が変わればそれこそが自分にとっての生きる意味になってくる。
僕は決断することにも同じことが言えると思います。決めてみないとどうなるかわからない。その決断が正しいかは後からわかってくる。
長くなりましたが、演劇の宣伝もしてみようと思います。僕は悠里役で、チャラ男の大学生。悪魔と付き合ってしまうんですね…
64期唯一のコメディーのはずなんですけど、涙腺が危険、ハンカチは必須です!!
D組が作り上げた悪魔と人間の不思議な世界観を肌で感じてみて下さい!お楽しみに!
次書いてくれるのは、悠里の頼れる姉、カモメ役のC.Mさんです!


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